ちょうど先週で21歳になりました!
祝いのメールやメッセージ、twitterのダイレクトメールなどありがとうございました!
(ちなみにアカウントはhikagetakafzpです。是非フォローを←)
例年通り吹奏楽部の中で誕生日を迎えましたが、ここ4年間は指導者として身を置く立場になりました。
これがずっと続き、いずれはお金がもらえるぐらいになればいいのだけど・・・
とにもかくにも21年を生きることが出来たことに感謝です。
が、まったく同じ日に高校の吹奏楽部の恩師が亡くなるとは思いませんでした。
その日は7月下旬というには信じられないほど寒い日で、音楽室も冷房いらずの状態で合奏をしていたと思います。
いっそあたたかいコーヒーでも買おうか迷っていた時に、その連絡がきました。
19日の夜に帰宅後お倒れになり、一度も意識が戻らぬまま21日の早朝に旅立たれた、と。
コンクールで取り上げる課題曲が僕の指導先の中学校と一緒ということで、合同練習を是非やりましょうという連絡を取り合っていた矢先の出来事で、さすがにショックを隠しきれず午後の合奏練習は顧問の先生に任せ、もう一つの音楽室を借りて1人でピアノを弾いていました。
きっと同世代の中で群を抜いているだろうという確信があるほど、親戚や知人の死に随分多く関わってきたと思います。
それでもやはりつらいものはつらいですね。慣れることは出来ない。
高校時代に先生と深く関わったというのはもしかしたらあまり無いかもしれません。
ただ、受けた影響は大きかった。
今の指導のスタイルも指揮もかなり類似した部分が多いはずです。
なにより進学先に文理を選んだのはコンクールの選曲が自分の好みと一緒だから、というのが一番の理由でした(笑)
「音楽大学へ行って作曲をやります」
「(歯の矯正で)楽器はもう吹けません。きっとみんなの邪魔になってしまう。それに吹奏楽指導者を目指したいので、コンクールを辞退させてください」
先生は「そっか、残念だね。でもまぁお前ならしょうがないか」
と認めてくれて、自分の道へ歩けるようにしてくれました。
その後もコンクール会場で会えば「うまい団体はどこだった?」とか、
「今年はどういう傾向?」と、卒業生というよりも吹奏楽指導の仲間として扱ってくれました。
丁度先月の作曲コンクール2位受賞の報告のメールの返信が、
「惜しかったですね。長生さんが来るなんて反則じゃない?いずれにせよ大健闘。課題曲に選ばれるのも時間の問題ですね。」
と(先生らしくない)絶賛のコメントだったのは非常に印象的です。笑
そういえば今朝、夢の中で先生がうちのベランダへ遊びに来てくれました。
最初に「文理吹奏楽部はどうなった?」と聞かれ、三田村先生がレッスンに来て下さることと、OB/OGも協力していくことを告げると深く頷かれていました。
「お前の抱えている中学のコンクールはどうなんだ?」と聞かれて、「(コンクールの)結果がまだ不安ですが、おかげさまで部員も先生も大きな問題はなくみんなで楽しくやっています。」と言うと嬉しそうな顔をしてくれました。
腕時計を一度気にされてから、笑いながら「あのね、お前も落ち込みすぎ。いいかげん前向いて歩きなさい。」と言われ、「じゃあそろそろ行かないと」という一言で目が覚めました。
相変わらず色々周っていらっしゃるようで、お忙しそうでした笑
こういうことを体験するのは、多少の霊感を持ち合わせているか、本当に故人の言葉を必要としているかのどちらかだそうですが、先生のメッセージの内容を考えるとおそらく後者でしょうか(もちろん前者も否定は出来ないんですが笑)。
1週間経とうが、人の死をたくさん目の前にしてきたとしても、先生の存在というのはそれだけ自分にとって大きなもので、でもいいかげん止まってはいられない。
先生が一番不本意でしょう。
念願のA編成初出場で、それに合わせて先生がお好きなリストの作品を自由曲に選ばれた。
健康状態もまったく異常はなかったのに、40歳という若さで突然旅立ってしまった。
それでも立ち止まらずに残された人のケアをしている。
まさに教育者、指導者だなぁと思います。
自分たちも決してこのことは忘れることは出来ないし、乗り越えるにはまず時間が必要でしょう。
でもとりあえず出来ることを一つ一つやっていくしかないと思います。
まずは一番影響を受けているはずの母校(高校)のサポートに尽きます。
それこそ先生から影響を多分に受け、作曲や吹奏楽指導者として多少名が知れるようになった者のすべきことですよね。
先生の名言「いつも心に音楽を」。
「いつも心にコンクールを」でもない、「いつも心に音程を、バランスを」ではない「音楽を」。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
祝いのメールやメッセージ、twitterのダイレクトメールなどありがとうございました!
(ちなみにアカウントはhikagetakafzpです。是非フォローを←)
例年通り吹奏楽部の中で誕生日を迎えましたが、ここ4年間は指導者として身を置く立場になりました。
これがずっと続き、いずれはお金がもらえるぐらいになればいいのだけど・・・
とにもかくにも21年を生きることが出来たことに感謝です。
が、まったく同じ日に高校の吹奏楽部の恩師が亡くなるとは思いませんでした。
その日は7月下旬というには信じられないほど寒い日で、音楽室も冷房いらずの状態で合奏をしていたと思います。
いっそあたたかいコーヒーでも買おうか迷っていた時に、その連絡がきました。
19日の夜に帰宅後お倒れになり、一度も意識が戻らぬまま21日の早朝に旅立たれた、と。
コンクールで取り上げる課題曲が僕の指導先の中学校と一緒ということで、合同練習を是非やりましょうという連絡を取り合っていた矢先の出来事で、さすがにショックを隠しきれず午後の合奏練習は顧問の先生に任せ、もう一つの音楽室を借りて1人でピアノを弾いていました。
きっと同世代の中で群を抜いているだろうという確信があるほど、親戚や知人の死に随分多く関わってきたと思います。
それでもやはりつらいものはつらいですね。慣れることは出来ない。
高校時代に先生と深く関わったというのはもしかしたらあまり無いかもしれません。
ただ、受けた影響は大きかった。
今の指導のスタイルも指揮もかなり類似した部分が多いはずです。
なにより進学先に文理を選んだのはコンクールの選曲が自分の好みと一緒だから、というのが一番の理由でした(笑)
「音楽大学へ行って作曲をやります」
「(歯の矯正で)楽器はもう吹けません。きっとみんなの邪魔になってしまう。それに吹奏楽指導者を目指したいので、コンクールを辞退させてください」
先生は「そっか、残念だね。でもまぁお前ならしょうがないか」
と認めてくれて、自分の道へ歩けるようにしてくれました。
その後もコンクール会場で会えば「うまい団体はどこだった?」とか、
「今年はどういう傾向?」と、卒業生というよりも吹奏楽指導の仲間として扱ってくれました。
丁度先月の作曲コンクール2位受賞の報告のメールの返信が、
「惜しかったですね。長生さんが来るなんて反則じゃない?いずれにせよ大健闘。課題曲に選ばれるのも時間の問題ですね。」
と(先生らしくない)絶賛のコメントだったのは非常に印象的です。笑
そういえば今朝、夢の中で先生がうちのベランダへ遊びに来てくれました。
最初に「文理吹奏楽部はどうなった?」と聞かれ、三田村先生がレッスンに来て下さることと、OB/OGも協力していくことを告げると深く頷かれていました。
「お前の抱えている中学のコンクールはどうなんだ?」と聞かれて、「(コンクールの)結果がまだ不安ですが、おかげさまで部員も先生も大きな問題はなくみんなで楽しくやっています。」と言うと嬉しそうな顔をしてくれました。
腕時計を一度気にされてから、笑いながら「あのね、お前も落ち込みすぎ。いいかげん前向いて歩きなさい。」と言われ、「じゃあそろそろ行かないと」という一言で目が覚めました。
相変わらず色々周っていらっしゃるようで、お忙しそうでした笑
こういうことを体験するのは、多少の霊感を持ち合わせているか、本当に故人の言葉を必要としているかのどちらかだそうですが、先生のメッセージの内容を考えるとおそらく後者でしょうか(もちろん前者も否定は出来ないんですが笑)。
1週間経とうが、人の死をたくさん目の前にしてきたとしても、先生の存在というのはそれだけ自分にとって大きなもので、でもいいかげん止まってはいられない。
先生が一番不本意でしょう。
念願のA編成初出場で、それに合わせて先生がお好きなリストの作品を自由曲に選ばれた。
健康状態もまったく異常はなかったのに、40歳という若さで突然旅立ってしまった。
それでも立ち止まらずに残された人のケアをしている。
まさに教育者、指導者だなぁと思います。
自分たちも決してこのことは忘れることは出来ないし、乗り越えるにはまず時間が必要でしょう。
でもとりあえず出来ることを一つ一つやっていくしかないと思います。
まずは一番影響を受けているはずの母校(高校)のサポートに尽きます。
それこそ先生から影響を多分に受け、作曲や吹奏楽指導者として多少名が知れるようになった者のすべきことですよね。
先生の名言「いつも心に音楽を」。
「いつも心にコンクールを」でもない、「いつも心に音程を、バランスを」ではない「音楽を」。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。






